<< November 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>

SAPIO (サピオ) 2009年 3/11号 [雑誌]

0
     『ゴー宣』が終わるかと勘違いして、もう買わないと書き込んでましたが、僕の勘違いだったのでまた買っています。いやはや。
     今週の『ゴー宣』の天皇論にて、戦前の人々が天皇を神様までとは思ってなかったこと、神様であると教えられていた人は戦時下で子供の頃を過ごした小国民世代だけと言うお話しがありました。そのことについて関わりがあるとおもったので、こちらの動画を載せます。





     三島さん、かっこいいですね。宮家の方々は、生まれたときから一人になれるときは少なく、ずっと付人の方が傍にいる暮らしをされ、外国の社交界で日本の顔となれるような立ち居振る舞いを身に付けられるように育てられていて、ちゃらんぽらんに生きている僕には及びも付かない悩みをされているのだろうなと思うと、とても眩しいです。
     天皇は神や絶対者ではなく、国民の心の拠り所であると思います。または日本史の「よりしろ」だと思います。

        (一部追記)
    葉風 * 読み物 * 23:39 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

    覚えるのはこれだけ!普通免許最強総まとめ問題集

    0
       学科試験対策に買いました。
       よく間違われやすいところの関わりがあるものをまとめていたりなど、自動車教習所からもらった学科教本をより分かりやすい中身にしてます。
       そういえば、試験が近いけどまだちょっとぐらい覚えてるだけだな、という人には要点をパラ見するだけでも役に立つかもしれないです。
       ただ、問題集は教習所に入るとき教本と一緒にもらったCD-ROMで事足りてます。
      葉風 * 読み物 * 00:25 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

      富と宇宙と心の法則

      0
        評価:
        ディーパック・チョプラ
        サンマーク出版
        ¥ 1,575
        (2007-01)
        Amazonおすすめ度:
        非常にわかりやすい、が
        自己啓発書みたい
        繰り返すことで味が出てくる作品
        ◎二ヶ月くらい前になりますが、「ロシア政治ジャーナル」の北野さんが薦めてらして面白そうだったので読んでみました。

         【紹介文】
         クリントン前米大統領、ゴルバチョフ元ソ連大統領から賞賛され、タイム誌による「20世紀の英雄と象徴100人」にも選出されたスピリチュアル・リーダーが明かす、宇宙の英知を活用する方法。

         【著者略歴】
         医学博士。代替医療のパイオニアで、心と体の医学および人間の潜在能力分野における世界的に有名な指導者。1996年にカリフォルニアで「チョプラセンター」を設立し、西洋の医学と東洋の伝統的な自然のヒーリングを統合させた癒しの手法を確立した。「Soul of Leadership」というワークショップを通して、経営者や政界のリーダー達のメンタリングも定期的に行っている。心と体の健康、量子力学、スピリチュアル、平和に関する著書は50冊にのぼり、そのうち12冊がベストセラーに。世界中をまわって平和と健康とウェルビーイングを促進し、自己開発と個人的な変容から社会的な変容を起こすためのクリティカルマス(必要最低人数)に達することを願って活動している。新しい人間性のためのアライアンス(Alliance for a New Humanity)代表



        もち子「この本を見てまずどう思いました?」

         葉風「“スピリチュアル”というと話は「オー○の泉」とかに出てくる怪しげな二人を思い浮かべて疑いの目で見ていたけど、この本で本物を知ったおかげでとても真っ当で味わい深いものだと考えを改めたよ」

        もち子「スピリチュアルとはどんなものなんですか」

         葉風「はっきりとはいえないけれど、今まで人の魂や霊的なものだと思っていたけど、この世のことわりを説いた哲学、または理知的なものが奥底に潜んでいる魂の法則といったものかな」

        もち子「なんだか難しそうですね」

         葉風「今僕が言った言葉の上では難しそうに思うかもしれないけれど、読めば誰にでも思い当たるところがあるよ。この本には前に言ったように皆に備わっている魂の法則を知っていくことになるからね。そういったところは、前に紹介した中村天風さんと同じだね」

        もち子「どういったところが?」

         葉風「人は心によって治められ、心の在りようで変わっていくというところだね。この本を読んでいくうちにあなたは富や安らぎといった幸せを呼び込む流れが、あなたへと向かっていくことでしょう」

        もち子「何かセミナーを受けなければならないとか言いませんよね」

         葉風「そういった本も世の中にはあるけどね、そんなことはありゃしないよ。本の中でも書かれているけど、ただ毎日読むだけでいいんだ」

        もち子「ただ読むだけ?」

         葉風「そう。覚えようとか、その通りにしようと決めなくていいんだ。ただ知るだけで変わっていくようになっているんだ。さすが、昔から尊い教えが生まれているインドだけあるよ」

        もち子「へぇ。では、葉風さんがお気に入りの言葉はなんですか」

         葉風「僕は、美しさに関心を払うとその中に価値が潜んでいて、それを重んじることによって国の整いが保たれるといったようなことを書かれてあるところかな。日本で言えば、武士道精神や風情といったものがこれにあたると思う」
        葉風 * 読み物 * 16:04 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

        運命を拓く―天風瞑想録 (講談社文庫)

        0
          評価:
          中村天風
          講談社
          ¥ 580
          (1998-06)
          Amazonおすすめ度:
          びっくり!
          天風を知らないうちに
          天風哲学の集約本
           昨日紹介した加藤諦三さんは、足のツボを刺激したりするように「効くぅ〜」という人もいれば、なんとない人もいたり、「あいてて、痛いじゃないか」と心に入り込まれるのが嫌な人もいたりするでしょう。高校のときに心理学の大学教授の方から講義を受けた時に、加藤さんの本を見てトドメを刺されたと精神病院に来られた方も何人もいたということを聞きました。僕は気持ちを軽くさせてもらいましたが、人によっては確かに加藤さんの本は心をえぐられるようなことを書かれているかもしれません。
           そこで今日紹介するこの中村天風さんの本です。中村天風さんは成功哲学みたいなことをおっしゃってるので受けいられやすい人も多いでしょう。一ヶ月ほど前、「ロシア政治ジャーナル」というメルマガでお馴染みの北野幸伯さんが「よく読みこんだくらいに人生を変えた」とふうにおっしゃられるほどお勧めされていたので見てみましたが、僕も「人生を変えた」というくらいに雷に打たれました。
           それではどんなことを仰られているか。一言で表しますと、「明るく前向きに積極的、これが人のもともとの姿である」ということです。そんだけ?とお思い方もいらっしゃると思いますが、本物というものは分かりやすく深いものです。本を読み勧めていくと腹に納まってくるでしょう。
           では、その中村天風さんはどのような方なのでしょうか。


           【著者経歴】
          中村天風は実に数奇な人生を生きた人物です。天風は明治九年東京に由緒ある家柄(彼の祖父は柳川藩主で伯爵)に中村三郎として生まれました。
           少年時代の天風は手のつけられない暴れん坊で柔道でずば抜けた強さを誇り、負けず嫌いの性格と正義感から喧嘩も絶えなかったといわれています。25歳の時に日清、日露戦争で秘密情報部員(軍事探偵)として活躍し、数々の武勲をあげ帰国後、30歳にして当時は死の病であった結核にかかり生死の境をさまよいました。

           行動的な性格から安静に養生するという医者の指示には従えず、自ら治療策を求めてアメリカに渡り著名な宗教者、哲学者等を訪問し、コロンビア大学で医学を学ぶ機会に恵まれたりもし、また著名な師を求めてヨーロッパも彷徨しましたが病気は治らず、失望を重ねたあとカイロで偶然出会ったヨガの大哲人カリアッパ聖者に連れられて行った、ヒマラヤの奥地でついにヨガの哲理を悟りました。結果として病気は治り、悟りを得て日本に帰ったと言うことです。
          またインドから日本へ帰る途中、上海にて孫文の革命運動に協力を頼まれて「中華民国最高顧問」として参加しています。
           帰国してからは事業家となり、銀行頭取、会社重役の地位にありながら、あるとき突然これらをすべて捨て去り辻に立って、人々を悩みから救い、苦しみから解き放つための教えを説き始めたのでした。

           彼のすさまじいまでの体験に裏打ちされた理論は「天風哲学」として大成されました。その門下には日本を代表する人材が集まりました。これを信奉し、おしえを受けた人々は百万人を超えると言われます。代表的な人物の中には、東郷平八郎、原敬、山本五十六、そして昭和天皇、北白川宮などの皇族方まで含まれ、近年では、松下幸之助、稲盛和夫、双葉山、長島茂雄等大勢の知識人、著名人が薫陶をうけています。

          (「中村天風について」さんより)
                       
                     ・ 
                     ・
                     ・

           いやぁ・・・、凄い方々から敬われてるんですね。他にもロックフェラー三世さんなど外国の方もいらっしゃるそうです。「清く、正しく、美しく」「心身統一」などの学校や武道場であるこれらの言葉は中村天風さんによるものです。
           それと、この本には載ってませんが他にも心身統一のためのやり方としてクンバハカ法なるものがあります。今すぐ試せますよ。

                 

           【神経反射の調節法(クンバハカ法)】
          ストレス等の刺激に対する過剰反射を防ぐ方法

          ストレス社会の現代では外部からの刺激が多く、神経が過敏になり、小さな刺激に対しても過剰な反射をおこしています。このため一番大切な心の調和や積極性が保てなくなっています。そのため、この過剰反射を防ぐことが重要となります。
          怒り、怖れ、悲しみなどの激しい情動の時、または不安や動揺を感じた時には、このクンバハカ体勢を行ない刺激を緩和します。(また日常、他人と接する場合にもこの体勢であれば落ち着いた対応ができると言われています)

          方法
            (1)肛門を締め上げる (2)下腹部に気をこめる (3)肩の力を抜いておろす

          この三つを同時に行なう。

          練習方法
          最初から三ヶ所を同時には難しいので個別に練習する。

          ,泙困楼貳峇靴譴討い覆ゆ衞腓鯆める練習からおこなう。肛門は通常締まっているが、これをさらに大便を切る要領で筋肉を使い、意識して締め上げる。肛門を腸の方向に吸い上げる感じで実行する。 

          下腹部への気のこめ方は、肩の力を抜いて臍下丹田(へその下3センチぐらい)に気持ちを集中する。力をお腹にギュウギュウ入れるのは間違いで、結果として軽く力が入った状態となる。(肛門が締まっていれば、意識をへそ下に持っていくだけで、この状態になると思います)

          5いついたら、肩の力をぬいて下ろす練習をする。日頃の生活の中でもいつの間にかに肩が上がって力が入っていることに結構気がついていない。(意識しだすと結構肩が上がっているの気がつきます。特に肩こりの人にはその傾向が強いようです)
          力が抜けているのか解らない場合は、一度、意図的に肩を上げてからストーンと落として確認して見ます。 
          せ阿弔力動
          上記の練習によって、各動作が訓練されて三位一体の動作が可能となります。


           (「心身統一法  How to do?」さんより)


          追記:このことについては間違っているようなので、二つ後の記事をお読みになってください。

                     ・
                     ・
                     ・

           これから大きな事が起ころうとしている日本で生きるにあたって、この本に書かれてあることはあなたの心強い味方になるでしょう。
          葉風 * 読み物 * 20:50 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

          感情を出したほうが好かれる―「対人関係」に自信がつく本 (知的生きかた文庫)

          0
            評価:
            加藤 諦三
            三笠書房
            ¥ 520
            (1997-09)
            Amazonおすすめ度:
            自分の気持ちに正直に…
            誰に対しても内省のきっかけを与えてくれそうな本
            くどい繰り返し
            近頃、この本で言ってたことってその通りだなぁとしみじみ思いました。
            高校時代、加藤諦三さんの本にハマってよく読み漁ってました。
            良い言葉というものほど、ボディーブローのようにじわじわと効いてくるものです。











            葉風 * 読み物 * 20:50 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

            本が好き、悪口言うのはもっと好き (文春文庫)

            0
              評価:
              高島 俊男
              文藝春秋
              ¥ 540
              (1998-03)
              Amazonおすすめ度:
              「悪口」もここまでくると芸術品
              過去といかにして対話するか
              高島先生言いたい放題
               【目次の抜き出し】
              ・うまいものあり、重箱の隅
              ・ボウゼンたるおはなし
              ・国語辞典は何のためにあるのか
              ・新聞醜悪録
              ・いやじゃありませんかまぜ書きは
              ・母なる語の子守唄
              ・かかりつけの書評家を持つ幸せ
              ・大衆に敗れたエリートのほろにがい笑い
              ・楽しい楽しい言葉のセンサク
              ・動物行動学の危険性
              ・「支那」はわるいことばだろうか
              ・なごやかなる修羅場
              ・税務署よいとこ一度はおいで
              ・かすみのころもすそはぬれけり
              ・おれはひとりの修羅なのだ
              ・駄文縁起―ぜったい長すぎるあとがき

               【著者経歴】
              兵庫県相生市出身の中国文学者、エッセイストである。
              東京大学経済学部を卒業後、銀行に五年勤めたが、大学院人文科学研究科中国文学科に入り、藤堂明保らの指導の下で学んだ。文革後の中国文学、唐詩、「水滸伝」などの研究が中心。
              母親の介護のためしばしば大学を休んだところ、「そんなに会議に出られないなら辞めてくれ」と言われ、岡山大学助教授を辞職。以降は、在野の研究者だが、1994年〜1997年には愛知大学で非常勤講師として中国近現代文学を講義している。
              1991年に、『水滸伝』を論じた『水滸伝と日本人 江戸から昭和まで』で第5回大衆文学研究賞受賞。1995年に、『本が好き、悪口言うのはもっと好き』で第11回講談社エッセイ賞。

              毎日新聞の書評「今週の本棚」で『水滸伝の世界』が丸谷才一によって採り上げられ、賞賛を受ける。その後初の一般向けエッセイ集『本が好き、悪口言うのはもっと好き』は、独自の観点からユニークな主張を行っている本として、それまでよりも広い読者層から評価される。丸谷は「高島俊男さんの出現は衝撃でした」と語っており、自分の随筆でたびたび高島のことを書いている。また高島は『水滸伝と日本人』のあとがきで、母親が死んだ後いきなり丸谷を訪ねたことを書いている。

              その評判から「週刊文春」誌上で1995年5月4・11日号から始まった、「言葉の語源や、本来の正しい使い方、などについて」の連載エッセイ「お言葉ですが…」は2006年8月17・24日号まで11年にわたって連載され、人気を博した(だが、連載最末期の部分は、文藝春秋が刊行を拒んだため、別の出版社から刊行された)。また、過去に刊行した本も次々と文庫化され、新たなエッセイ集なども続々と刊行した。2007年から草思社の公式サイト「草思WEB」で「新・お言葉ですが…」を連載している。
              2001年には、夏目漱石が漢文で書いた旅行記「木屑録」を解読した『漱石の夏やすみ 房総紀行『木屑録』』で、第52回読売文学賞随筆・紀行賞を受賞。
              独身であり、読書と囲碁のみが趣味の、「現代の仙人」のような暮らしを送っていた。
              囲碁が趣味で、「お言葉ですが…」の連載中もたびたび囲碁の話題に触れていた。
              近年、眼病を患い、執筆活動は「口述筆記」に頼るようになった。

               (ウィキペディアより


              ◎今の日本語のおかしなところを中国文学などをよく学ばれたことを活かして、時には気さくな語り口になったりしながらケチをつけたりしたのがこの本です。前に悪口は自らを滅ぼすというようなことを書き込みましたが、こういった悪口なら面白くてためになるので良いですね。雑誌の『わしズム』や『SAPIO』などで、今の日本語についていろいろ語った記事を連載されてる深川峻太郎さんに似てらっしゃいます。
               ところで前に、紹介した渡部昇一さんの「日本語のこころ」の記事の意味ですが、漢語やカタカナ英語ばかりに頼って日本持ち前の大和言葉をあまり使わなくなって、人と話すときに心を伝えられていないよという意味です。またそういった本という意味です。ちなみに大和言葉はいわゆる訓読みのことです。戦後になって大和という言葉は戦争につながるというとんだ考えにより、大和言葉は訓読みに漢語は音読みになってしまったのです。
               そのことがどういったことかというと、この「本が好き、悪口言うのはもっと好き」の本のはじめにある“あくび問答”によく書かれてあるので抜き出させてもらいます。
                   ・
                   ・
                   ・
               (10ページより)
               三国志や水滸伝の好きな高校生が遊びに来て、「ケッシンというのはどういう挨拶?」ときく。
              「ケッシン?知らないなぁ」
              「だってよく出てるじゃない」と、指でテーブルに「欠身」と書いて見せる。
              「そりゃケッシンじゃない。ケンシンだよ」
              「ケンシン?だってケツって字じゃないの」
              「そうじゃない。その字はケン。ケツと読むのはまちがい」
              「そんなのおかしいよ。ケッテンとかホケツとかのケツじゃないか」
              「ウーン。困ったなあ。そうだ。あくびを漢字でどう書くか知っているかい?」と国語辞典を持って来て、「欠伸=あくび」の項を開いて見せたら、
              「ふうん、ケンとも読むのか」とやった納得してくれた。
              「欠は口を大きく開けること、伸はのびをすること、あわせてあくびだ」
              「なるほど」
              「だから欠をふくむ字はたいてい口をあける。欲は口をあけて、ああおなかがすいた、何か食べた。歎は口をあけて、ああつらい苦しい。歌は口をあけて、ドレミファソ」
              「ふうん。それで水滸伝の欠身は?」
              「そうそうそれだった。これは、すわっていた人が立ちあがって、上体を心持ち前傾する挨拶だ。武将が馬上で会った時とか、部屋で話しをしているところへ目上の人が入ってきた時とかにそうやって敬意をあらわす。このばあいの欠は口をあける意味ではなくて、むしろ欠伸の伸、身体をスッとのばすことだな。それがあとになるほどだんだんズボラになって、ちょっと腰を浮かすとか、腰を浮かすそぶりをするくらいですますようになった。それでも十分敬意をあらわしたことになる」
              「本来帽子を取る挨拶が、帽子を取るそぶりをするだけですますようになったのとおなじなんだね」
              「その通りだ。すわっていた者が立ち上がる時には体を前にかがめるだろう。だから中国でも近ごろは体を前にかがめるのが欠身だと思っている人が多い。しかしそれは本来の欠身の準備段階なんだ。形の上では日本のおじぎに似ているけど、おじぎは『私はあなたより小さいよ』という挨拶、身をかがめるのは『立ちますよ』という挨拶だから意味が違う」
              「なるほど。欠はケンだってことはわかったけど、じゃあなぜケッテンやホケツのケツに欠の字を書くの?」
              「ケッテンやホケツのケツは缺だ」
              「見たことない字だなあ」
              「アハハそうか。夬は物の一部が凹型にかけることだ。洪水で川の土手が凹型にかけて水がドッとあふれるのが決、堤防の決潰だな。抉はてで凹型にえぐること、伍子胥(ごししょ)が殺される時に『吾が眼を抉って呉の東門に置け』と言った話は知ってるかな」
              「知らない。それで缺は?」
              「缶(ふ)は水や酒などを入れる土器だね。その土器のふちが一部凹型にボロッとかけるのが缺。そのことから万全なものの一部がかけるのを缺というわけだ」
              「缶はカンヅメのじゃないの?」
              「カンヅメのカンは罐だね。○(※)は、觀察の觀、歡迎の歡、勸誘の勸、灌漑の灌などでわかるようにカンという音を示す音符だ。音符をどけて缶だけならフ」(※のところの○はネット上でどうしても見つけられませんでした。本当はそれぞれの旧字の同じところです)
              「だけど缶コーヒーはカンコーヒーなんだけどなあ。それにカンサツのカンは観だよ」
              「それは略字」
              「へんだなあ。それで、ホケツのケツは缺だっていうけど、それじゃどうしてふつうには欠と書くの?」
              「日本では以前から手書きの時は欠と書く人が多かったようだ。理由は二つは考えられる。一つは、欠(ケン)には、不足、借りという意味がある。缺と意味が近い。それで缺のかわりに欠を使った―しかしこの可能性は小さいだろうな。もう一つは、手書きの時にいちいち缺と書くのは面倒なので右側の夬だけを書いた。それが手早く書くと欠になった―この可能性のほうが大きいと思う」
              「字の一部分だけ書くだなんてへんだなあ」
              「それはよくあるんだよ。醫を医とか、聲を声とか、藝を芸とか―。罐を缶と書くのもそれだね。手書きの時はそれでいいんだ。ただそれが公認され、しかも下からある別の字と同じであると、やっかいになる」
              「同じ欠の字がケンだったりケツだったり」
              「そうだね。しかしまあとことんつきつめれば、そもそも漢字なんぞが入ってきたのがまちがいのもとなんだよね」
              「漢字を取り入れたのがまちがいなの?」
              「うん。漢字は漢語(いわゆる中国語)を書き表すためにできた表記体系だから、全然性質のちがう日本語とはもともと肌が合わないんだよ」
              「中国文化のほうがすぐれていたから漢字を取り入れたんじゃないの?」
              「中国文化と日本文化は誕生の時期がちがう。文化も人間と同じことで、早く生まれたほうが早く大きくなるの当然だ。しかし早く生まれたほうが偉いわけではない。もし漢語と漢字が入ってこなかったら、日本語は健全に成熟して、やがて日本語の生理に合った表記体系を生み出していただろう。ところが日本語がまだ幼児期だったところへ漢語漢字が入って来てそれを借り用いるようになったものだから、日本語は成長がとまり、少し高級なことは外来語である漢語によらなければ何も言えなくなってしまった。明治の初めに西洋語の訳語として大量の漢字語を作った―それも音には関係なく字の意味だけで作ったものだから、いよいよそれがひどくなった」
              「へえ」
              「日本語と漢語の大きな違いは、音韻組織が、漢語は複雑、日本語は簡単ということだ。たとえば、成功、製鋼、性交、精巧は漢語では全然別の言葉だが、日本語ではみなセイコウになってしまい、漢字のうらづけがないと意味を持ちえない。中学生の娘が『お母さん、わたしきょう初めてセイコウしたわ!』と言っても、お母さんは『まあよかったわね』と言っていいのかマッサオになっていいのかわからない」
              「エヘヘヘ」
              「つまり漢語のcheng(成)、xing(性)、gong(功)、jiao(交)などは固有の意味を持った音だが、日本語のセイやコウはそれ自体では何の意味も持ち得ない。成功とか精巧とかの文字が言葉の本体で、セイコウという音はその本体が裏にはりつくことによってかろうじて意味を持ちえるたよりない存在なんだよ。だから、漢字の本家の中国では漢字を廃止しても大丈夫だろうが、日本語は漢字のうらづけが成り立たない、という奇妙なことになっているんだ」
              「心細いんだね」
              「そう。だから文字が背後からしっかり支えてやる必要がある。したがって、文字そのものや、文字と音のつながりを変更するのは、よほど慎重でないといけないということなんだよね」
                          ・
                          ・
                          ・
              ◎確か、孔明だったか弟子に「老師、国が荒れ果てたときはまずはどうしますか」という問いに「まずは言葉を正す」と云われていたという話がありましたがそのとおりでしょう。言葉は人と人とを結ぶ架け橋。出会ったときも「はじめまして」「おはよう」「おひさしぶり」、別れるときも「さよなら」「またね」「からだにきをつけてね」、人と人が集まるときほとんど言葉が使われます。そして、人が物事を考える時も頭で言葉を使ったりします。それだけ言葉は人としての要なのです。また自らの心と体をつなぐ架け橋であり、清々しい心になる心身統一をするためにも大きな役割をもたらすものでしょう。かつて、言葉が『言霊』と言われていたように。
               前に読んだ『わしズム』の話し合いの中で、新渡戸稲造さんが「日本人は浅い民だ。神らしく怒ることを知らない」と嘆かれていたと目にしましたが、その源は「なんちゃって漢語」を自らの言葉として用いているからではないでしょうか。
               また、多くのなんちゃって漢語を知っているというだけで偉ぶっている頭が水に浮きやすくなりそうなことを言う人が大学を出たりした人に多いと思います。このことによって、彼らの真っ直ぐではない見栄により、多くの民にとっては分かり難いような話が大きな顔をして歩いてそれぞれに囲いを作ってしまい、各々が持つ賢さがなかなかめぐり会えなくなっていると思います。これは国の栄えにも大きく関わってくることでしょう。
               とはいっても、第二次大戦後の朝鮮半島のようにいきなり漢字を捨てるようなことをしてしまっては考える力や人に物事を伝える力が弱まってしまうでしょう。むしろ僕は旧漢字に戻したほうがいいと思います。本から抜き出した話にもあったようにそちらが元々の意味で分かり易いですし、チャイナや台湾の言葉を学ぶときにも戸惑いが緩やかになるでしょう。大和言葉を真ん中に据えたちゃんとした日本語を作るのは、これから何百年何千年といろいろ試しながらつくっていったほうがいいでしょう。
               ところで僕はネットで書き込みをするときは思いつく限り大和言葉で書き込んで来たのですが、気づかれましたか?言葉に鋭い人はとっくに気づかれたかもしれないですね。
               作詞家の方もこのことを知ってか知らずか、わざと大和言葉だけだったり、サビのところだけよその言葉だったりなどをされている方々がいるらしいです。
               
              追記:試しに「カンシャ」と「ありがとう」を人を想いながら言ってみてください。
              葉風 * 読み物 * 01:44 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

              日本語のこころ (講談社現代新書 372)

              0
                評価:
                渡部 昇一
                講談社
                ¥ 735
                (1974-01)
                Amazonおすすめ度:
                日本語を、「やまとことば」とよみたくなる本





                      あなたは、心を伝えやすい言葉を使っていますか?







                 さて、前もって書き込みましたが、これからしばらく僕は休むことになります。悪しからず。長くて一ヶ月後までです。それでは、
                葉風 * 読み物 * 04:36 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

                創価学会とは何か 8

                0
                     ・
                     ・
                     ・

                  (第六章 不公平税制 111ページより)

                   日本のメディアを支配し、相容れない組織や人間に口汚い攻撃を続け、訴訟を乱発、さらには与党・公明党を自在に操り、国政さえ恣にする日本最大の圧力団体・創価学会。そのパワーの根源が、想像を絶する「資金力にあることは論を俟たない。
                   (中略)
                     ・
                     ・
                     ・

                  (同章より 目の眩む巨額資産 114ページ)

                   創価学会票の軍門に降り、いまや「自民党」ならぬ「自公(創)党」となったこの党の現状からは信じ難いが、かつて自民党は国会で創価学会の資産・税問題を徹底追及したことがある。
                   その国会質問の中で、「創価学会資産は十兆円」という数字が出たことがある。
                   発言者は自民党の熊代昭彦代議士。一九九五年十一月、熊代氏は、「宗教法人に関する特別委員会」で、次のような発言を行っている。
                  「我々が内々にいろいろ聞いたところでは、不動産資産九兆円、流動資産一兆円というような堂々たるお力を持っておられるというようなことでございますが……」
                   十兆円―気の遠くなるような金額である。しかも、これは十年近くも前の国会質問の数字であり、毎年何千億もの財務(寄附)を集め、日に日に増殖している創価学会の資産が現在でははるかにこれを凌駕しているのは確かだろう。が、ひとまずはこの数字を基に話を進めよう。
                   いまや年間一兆円以上の経常利益をたたき出し、日本でゆるぎないナンバー1企業となっているトヨタ自動車。その国内資産は八兆六六〇〇億円強だ。また、線路や駅など多くの固定資産を所有し、国内の鉄道・交通業界をリードするJR東日本ですら六兆七二〇〇億円余である。これだけを見ても、創価学会の資産が恐るべきスケールであることはお分かりいただけると思う。ちなみに、創価学会の申告所得は、一四三億円(〇二年度)で、国内企業の中で法人ランク二百七位。宗教団体では、いわゆる収益事業だけが申告所得の対象となるためにこの金額に止まっている。企業で言えば、小田急電鉄をわずかに上回るぐらいだ。
                   さて、具体的にその資産を見てみよう。まずは全国千二百を数える会館である。
                   創価学会本部が鎮座すのは、東京都新宿区信濃町一帯。先の池田発言には、こうある。
                  「今日十一月十三日は、昭和二十八年に東京・信濃町に学会本部が誕生した、記念の日である」
                   爾来、半世紀。この地域で学会は増殖につぐ増殖を重ね、少なく見積もっても三万平方メートルの土地を取得している。その飽くなき増殖が止まる気配は一向にない。その一方、到る所に監視カメラを配置、警備員たちが徘徊するこの街自体の人口はピーク時の半分以下に激減した。ある時はゼネコン、不動産業者が表に立って土地・建物を買い漁り、学会に転売を繰り返した。こうして街からは暮らしの息づかいが消え、まさに「創価の城」総本部となった。
                   筆者は、長期間に亘ってこの地域の住人(商店主ら)に話を聞いてきたが、学会施設の拡大を苦い思いで見続けてきた彼らのほとんどは、この地を去っていった。
                   ここで生き残り、生計を立てるには、訪れる創価学会員の財布をアテにするしかない。こうした街の変貌ぶりは措くとしても、ここに存在する創価学会施設のほとんどは、やはり非課税だった。
                   これを新宿区内に拡大すると、創価学会の所有地はおよそ五万平方メートルにも達する。
                   新宿区内だけでこれだけの不動産を所有する企業や宗教団体はもちろん創価学会だけである。さて、「週刊新潮」の集計では、これらの新宿区内の学会所有地のうち六割強が非課税である。
                   宗教法人法では「境内地」の他、建物でも「礼拝所」、「集会所」と登記されたものは非課税を認められるが、買収の結果、「礼拝所」、「集会所」と隣接しない空き地を便宜的に「駐車場」とし、その上宗教施設に繰り入れて、固定資産税を免れているケースさえあった。
                   同地域内の「第二別館」も、池田氏が長く居宅として使っていたが、国税当局のメスが入ろうとした時、あわてて四年分の家賃が支払われたこともあった。学会の会館は、占拠のたびに拠点として使われ、政教一致の象徴と指弾を浴びたことを考えると、この「千二百の会館」から、少なくと固定資産税を徴収することは当然ではないだろうか。
                     ・
                     ・
                     ・
                  ◎このようなとてつもないお金は寄附だけではなく、北朝鮮から密かに送られてくる『麻薬』を山口組系などの日本の名だたる暴力団に受け流しして、儲けていることもある。『ゼネコン』が創価学会を助けていることがいい証だ。
                  葉風 * 読み物 * 16:50 * comments(2) * trackbacks(0) * - -
                  このページの先頭へ