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「あなたを傷つける人」の心理 きずな喪失症候群 その19

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     ◎親しくならないうちはうまくいくのに・・・・・・という人へ

     かくて、どの人との関係もトラブルになる。家庭内暴力というものをなにか特別な心理と考えるかもしれないが、この心理は愛情飢餓感の強い人の一般的な心理である。つまり、愛を求めつつ、相手を憎む。暴力をふるっている相手から愛を求めている。
     愛を拒絶されて育った人は、一生人間関係でトラブる。生涯「母なるもの」を求めて人間関係でトラブる。誰ともすぐに表面的に親しくなるが、結局は誰ともうまくいかない。
     親しくならないうちはうまくいくが、近くなったとたんにトラブルになる。「母なるもの」を求めだした瞬間から、その人間関係がトラブルになる。「母なるもの」を求めだした瞬間から、相手が面白くなくなる。「母なるもの」を求めだした瞬間から、相手が不愉快な存在になる。
     混合型は、ある時点で燃えつきタイプからきずな喪失症候群タイプに変わる。だから結婚するとうまくいかなくなるのである。結婚するまでは燃えつきタイプ、結婚するときずな喪失症候群タイプになる。恐らく成田離婚と言われているものの多くは、配偶者の少なくとも一人が、混合型であって、相手に「母なるもの」を求めて、それが満たされなくて不満になっているからである。
     悩んでいる人は、たいてい一生悩んでいる。環境が変わっても悩んでいる。それは悩んでいる人が「母なるもの」を求めているからである。決して得ることのできないものを、人々に求めているからである。そして自分が求めているようには振舞わない相手を憎む。自分に母のように優しく注意を向けてくれない相手を憎む。どの人と親しくなろうと、一生表面的に親しくなった人に不満である。
     せめて、自分は一方的に相手に求めているということに気がついてくれさえすれば、関係は少しは変わる。少なくとも、自分の不満にはまったく正当性がない、ということに気がつくからである。
     自分のほうが相手の言うことに優しく耳を傾けてもいい、ということに気がつくからである。相手の笑顔を要求する前に、自分のほうが笑顔を作ってもいいのだ、ということに気がつくからである。愛情飢餓感の強い人は、相手が笑顔でいないとそれは、責められるべきことであると感じているのに、自分が不愉快そうにしていることはきわめて当然と感じている。相手が不機嫌だと責められるべきだが、自分の不機嫌は自分が不当に扱われている証拠だと思っている。


     ◎人に認めてもらうための努力は続かない

     すでに述べたように、この愛情飢餓感が強い人に二種類いることを忘れてはならない。きずな喪失症候群と燃えつき症候群である。きずな喪失症候群は努力をしない。努力をしないで求めるだけの人である。燃えつき症候群は認めてもらうための努力をする。きずな喪失症候群は、努力はしないでただ自分をこのように扱うのはけしからん、と怒る人々である。

     燃えつき症候群のように、人に認めてもらうために努力する人と、自分の好きなことに努力する人とでは、エネルギーの使い方がまったく違う。人に認めてもらうために努力する人は、一時的に職業上成功することもあるが、最後は人生の敗者である。最後には挫折する。
     人に認めてもらうために努力する人は、努力が続かない。エネルギーを人の賞讃から得るが、それが続かなくなるということである。またナルシシスティックな自我像からエネルギーを供給されるが、その成功も続かない。そこでエネルギーの供給が跡絶える。
     自分の好きなことに努力する人はいつまでも努力が続く。努力そのものがそれほどつらくないのと、努力そのものに意味を感じているからである。燃えつきる人にはならない。心理的に健康な人たちである。
     愛されて育った人は、人に認めてもらうために努力する人にはならない。だから燃えつきない。
     親から求められたという体験で、自分に価値を感じている。だから、人から求められることで価値を感じる必要はない。だから、人に認めてもらうために努力する必要はない。人に認めてもらうための人生を送らない。だから、自己実現にエネルギーを使い、人生の成功者になる。
     親から自分という存在そのものを求められた体験のない人は、求められる存在になろうとして燃えつきるまで努力するのである。


     ◎自分のところに来た人が「自分を認めてくれた人」とは限らない

     花にたとえてみよう。花屋の店先に花がある。その花は道行く人に買ってほしい。しかし買ってくれない。今日もまた売れ残ったと、劣等感と淋しさに苛まれる。
     そこに買ってくれる人が現れたとする。するとその売れ残っている花は、その人は残虐な人であるか優しい人であるかを考えるゆとりがない。その人がどんな残虐な人であっても、自分を買ってくれたことを感謝する。
     その売れ残った花を買った人は、その花を買うことにメリットがあるから買ったのに、買ってくれたことで、その残虐な人を「いい人」と思ってしまう。そしてその人のためにどんな犠牲でも払ってもしまう。それが燃えつき症候群の人である。
     買った人は、その花から搾れるだけ搾る。搾られるだけ搾られても、売れ残っていた花は買ってくれたということで感謝をしてしまう。
     その残虐な人に買われなければもっと幸せになれたのに、とは考えない。他の花は毎日水をもらっている、ということに気がつかない。自分はペンキを塗られて利用されている、ということに気がつかない。
     そしてこの搾れるだけ搾るほうが、きずな喪失症候群なのである。搾るほうも搾られるほうも、ともに愛情欲求が満たされていない。きずな喪失症候群は一方的に相手から搾取する。燃えつき症候群を自分の母親代わりにしているのである。しかも嫌いな母親である。
     本来母親に求めるものを求めても逃げないのは燃えつきる人くらいである。そこまで搾取されれば、普通の人は逃げだす。しかもきずな喪失症候群は恨みがあるから、燃えつきる人を搾取しながらも恨むから恐ろしい。
     きずな喪失症候群の人は他人に憎しみをもっている。燃えつき症候群の人は、猜疑心よりも不安である。きずな喪失症候群の人は損得だけで動く。だから、「昨日の友は今日の敵」になる。猜疑心が強い。
     燃えつきる人は愛を知らない人である。だから、自分のところに来てくれた人を「優しい人」と間違えてしまう。愛を知らない人は、接する人を間違えてしまう。自分のところに来てくれた人は、自分に価値を付与してくれた人なのである。親がその人に価値を付与しなかったから、自分に価値を付与してくれた人の奴隷になってしまう。親は価値を付与するどころか、「お前のような人間は・・・・・・」と価値剥奪したのである。だから自分のところに来てくれた人の言いなりになってしまう。燃えつき症候群の人は見捨てられられるのが怖い。
     自分を搾取する人を、「この人が自分を認めてくれた」と喜んでしまう。相手はその人を認めたわけではなく、その人の持っているものを絞り取りたかっただけだ、ということに気がつかない。


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     今、アニメの『逆境無頼カイジ』(原作:賭博黙示録カイジ)見てます。こういう切羽詰った人間ドラマだと、この本に書かれてあるようなことの例が出てて面白いです。騙されやすいというような方には、得るものも多いんじゃないでしょうか。
     世の中で揉まれている人だと心当たりのあることが多いのではないでしょうか。

    葉風 * 読み物(生き方) * 21:45 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

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